コムギで紐解く、雑種誕生の鍵を握る遺伝メカニズムとは

2025年9月2日

農学部でコムギの遺伝について研究をされている岡田 萌子 先生に、現在の研究内容や創発的研究支援事業*(以下、創発)についてお話をお伺いしました。

*2024年度 榊原パネル 採択

創発ではどのような研究をされますか?

体細胞に染色体セット(ゲノム)を複数もつ生物を倍数体といい、コムギとその野生種は倍数体を研究する際のモデルとしてよく用いられます。2種が交雑し、両親由来の2セットのゲノムを持つ四倍体、さらにもう1種の交雑によって3セットのゲノムを持つ六倍体など、異なる先祖からゲノムを受け継ぎ倍数体を形成する異質倍数性進化を経て、現存の多様な種が誕生しました。

遺伝の過程で、ゲノムや染色体に変異が生じることがあります。この変異の生じやすさが由来する祖先種ごとに異なる現象(「ゲノムの硬さ」)は古くから知られていましたが、「ゲノムの硬さ」を決定するメカニズムは未解明です。コムギとその野生種が持つゲノムは、倍数体化後に変異が蓄積しにくい「硬い」ものと、蓄積しやすい「柔らかい」ものに分けられます。これらの組み合わせで形成される四倍体種には、理論的に最も安定であると予想される、「硬い」ゲノム同士の組み合わせは存在しません。この現象を深く疑問に思い、「ゲノムの硬さ」が雑種の成立に影響する可能性を着想しました。創発では、コムギ野生種を対象とした遺伝学的研究によって「ゲノムの硬さ」を決めるメカニズムや、異質倍数性進化において「ゲノムの硬さ」が担う役割を明らかにします。

これまで、色々な研究者との雑談を通して植物の興味深い現象について示唆を受けることがあり、「ゲノムの硬さ」もそのうちの一つでした。「ゲノムの硬さ」の解明を目指す研究は1,2年の短期間で取り組めるテーマではないので、着手するタイミングを思案していたところ、7年間の支援が受けられる創発について知り、「ゲノムの硬さ」研究に最適だと考えました。「なぜ特定の種の組み合わせで雑種が成立し、他の組み合わせでは成立しないのか」という問いには、現在でも未解明な点が多く残されています。雑種成立の可否を分ける重要な要素である「ゲノムの硬さ」のメカニズムを明らかにすることで、生物学的・進化学的にインパクトのある成果が得られると考えました。

研究では30種類以上のコムギとその野生種を扱う。コムギの遺伝については未解明な現象が多い。たとえば特定の型のゲノムを有すると特定の形状の穂を形成することが知られているが、そのメカニズムは明らかにされていない。
自身で異なるコムギを掛け合わせ、独自の合成コムギを作成することも。交雑で作成した種子(画像中央下部、左側の種子)の個数等の特徴を観察して、逐一ノートに記録する。数ある組み合わせのなかで、種子ができるか、生育できるかなど雑種のさまざまな特徴やDNA解析から、雑種成立を左右する要因に迫る。画像中央下部、右側は栽培品種から採れた種子。

農学的には、野生遺伝資源の拡大をもたらすイノベーションにつながることが期待できます。たとえば、ある野生種を用いた品種改良によって病害抵抗性遺伝子やストレスに強い遺伝子を含む染色体の一部を新しい品種に導入できたとしても、やがてこの染色体部位に変異が偏って生じてしまうと、獲得した抵抗性は10年後、20年後には失われてしまいます。染色体に変異が偏るメカニズムを解明することで、導入した染色体の機能を最大限に保持した品種を育成することができます。将来的に研究が順調に進展すれば、他研究者との連携により、染色体異常に起因するヒトの病気の治療や創薬にも資する知見が得られることを期待しています。

ほかにはどのような研究を考えていますか?

学部3年生の頃、遺伝のプロセスやメカニズムに興味があり、植物遺伝学の研究室を配属先に選びました。指導教員がコムギの研究に従事していたことから、コムギ野生種を対象とした研究を始めました。その過程でコムギとその近縁野生種が有する様々な興味深い特徴に関心を抱き、以来コムギ、特に野生種に注目した研究を続けています。

特に、「倍数体の成立可否を決定する要因は何か」が私の研究の根底にある問いであり、倍数体の成立に関わる様々な要素を一つずつ紐解くことで、異質倍数性進化の過程を解明したいと考えています。たとえば、自分自身の花粉で受粉・受精に至るか否かも、雑種成立の鍵となる要因の一つです。コムギとその近縁野生種は基本的に、自分の花粉で受粉・受精できる自殖性ですが、1種だけ、クサビコムギという野生種は自分の花粉では受粉・受精できない他殖性を示します。クサビコムギは、みなさんが食べているパンやマカロニの原料になるコムギの親にあたる種です。他にも多くの野生四倍体種の親になった種なので、これらの倍数体成立においてクサビコムギが持つ他殖性が果たした役割を解明したいと考えています。

他にも、雑種種子が発芽できるかどうか、雑種個体で起こる生育異常の原因など、コムギ野生種の倍数性進化を取り巻く多くの現象を対象に研究しています。これらの現象の解明には、コムギで歴史的に作られてきた実験材料とDNA解析を組み合わせて活用します。ムギ類は染色体観察が容易なことから、昔から染色体研究が盛んになされてきました。特に六倍体パンコムギでは染色体を1,2本欠失させた実験系統が数多く作成されています。雑種となる過程で、類似の染色体セットを3つ獲得しているので、染色体1本を欠失しても他の染色体で機能を補完できているのかもしれません。遺伝学的にとって有用なこれらの実験系統を、交雑実験や最新のゲノム解析と組み合わせることで、上記研究対象についてのより詳細な遺伝解析やメカニズムの解明が可能になると考えます。また、創発で得られる知見を応用することで、多数のDNAを保持することによるコストとメリットを両立してパンコムギや野生六倍体種が進化してきたメカニズムも、より深く理解できると期待しています。

創発への申請にあたり、大事だと思うことを教えてください。

破壊的イノベーションについては、研究成果が実社会にわかりやすい利益をもたらす場合には考えやすいかと思いますが、そうでない場合は、「教科書を書き換えられるか」・「人がもっている常識を覆せるか」が一つの視点になると考えています。単に新発見があるというだけでは創発には不十分だと考え、上記の視点やPOが重視している価値観に沿った破壊的イノベーションを提案できているかを意識しながら申請書作成に臨みました。

創発では、一見すると無謀そうにみえる研究提案もありますが、自分の技術を活用することで研究提案が十分に実現可能であるということを、数字やデータを用いて具体的に裏付けることも重要だと感じました。私の場合は、創発の研究テーマについては予備データや業績が十分にない状態での申請でしたが、これまで培ってきた交配からゲノム解析まで自分で遂行する技術をつかえば研究提案を実現できる、ということを毎年実施している交雑数などを具体的に挙げながら丁寧に記述しました。

パネルやアドバイザーとの相性、過去に採択された研究者の特徴をもとにパネルを選択することも重要だと感じました。昨年は研究提案の農学的な側面には触れずに生物学系のパネルに出し不採択でしたが、今年は農学系のパネルに出して採択いただきました。どちらのパネルにも、過去に似た研究で採択された研究者が多くいたため、自分の研究をいかに差別化するか、自分の強みをいかにアピールするかを申請書、面接の両方で意識しながら準備しました。

URAには、専門用語と一般用語の区別や難解な言い回し、記載の重複など、自分で草案を何度も読み返すうちに気づきにくくなった点を客観的に指摘していただきました。模擬面接では、農学分野の前提知識や共通言語を共有していない異分野の先生にもご参加いただくことができました。参加者からの指摘により、自分の提案におけるイノベーションを、同分野だけでなく異分野の方にもわかりやすく伝えられるようにプレゼンテーションを改善できました。

研究で用いるコムギを自身で栽培している。写真は室内での栽培の様子。DNA解析であれば、1週間から10日育て、苗が10cmくらいの大きさになればDNAを採取できる。交雑の実験では、コムギの生育に3,4ヶ月はかかる。
室内よりも屋外環境のほうがコムギは十全に生育する。交雑の実験では、播種から花が咲いて(右上)交雑し種を採取するまでに半年以上かかる。コムギの栽培、交雑からゲノム解析までを自身で遂行できるという強みが伝わるように意識して申請書を作成した。

プロフィール

岡田萌子 新潟大学自然科学系農学系列(農学部)助教。

横浜市立大学 特任助教、チューリッヒ大学 進化生態学研究所 博士研究員などを経て2023年より現職。

研究者総覧 researchmap

(インタビュアー URA 佐藤・久間木)